「得意分野を生かして、自分にしかできないメイクを」クリエイターインタビュー vol.2:ヘアメイク田有伊

2022.07.12 インタビュー

田有伊(ちょんゆい)
1984年11月5日生まれ
高校まで茨城県で過ごす
ベルエポック美容専門学校を卒業し、林達朗のアシスタントにつく。
pajapati所属のヘアメイクアーティストの方々のアシスタントにも行かせてもらい2009年所属。
フリーの仕事も受けながら、テレビ、CM、雑誌、広告、イベントなどのヘアメイクに従事している有伊さんのインタビューです。

得意メイクは”早くてかわいい”映えメイク

Q.ゆいさんはメイクアップアーティストとして活躍していますが、ふだんはどんなお仕事をしているんですか?

ゆいさん
「現在は女性バラエティタレントの専属についたり、元フィギュアスケート選手を担当することが多いですね。女性タレントだけでなく、ラジオDJを務めていた男性アナウンサーを担当していた時期もあります。
その他には男性ミュージシャンが雑誌やMVを撮影する時にはよく担当させていただいています」

Q.幅広い分野で活躍されているんですね!テレビや雑誌、イベントなど、やはりヘアメイクにも違いはあるのでしょうか?

ゆいさん
「うーん、そんなに大きくは変えていないです。どれも意識しているのは『ぱっと見で可愛い』こと。
写真を撮ったときに、一目で「可愛い!」って思えるような映えメイクを心がけています。
テレビでは、ヘアセットで後れ毛を出さないようにしているかな。
写真だと後れ毛も可愛いんですけど、テレビだと崩れて見えてしまうんですよね。

ただ、どの媒体でも自分らしさを出すようにしています。
メイクをするのがナチュラルな子でも、そこにちょっとパンチのあるメイクを入れて、目を引くようにするんです。
正直、私はイエベブルベはあんまり気にしすぎないようにしています。その人に会って雰囲気をみて、似合いそうな色を選んでいくと『可愛い!』って喜んでもらえるんですよね。
せっかくヘアメイクに私を選んでもらったんだから、“私だからこそ”のメイクにしたいなって思うので。タレントさんやマネージャーさんから「ゆいさん以外は考えられない、毎日やってほしい」って言ってもらえることも多くて、それがうれしいです!」


Q.その人の魅力を引き出すメイクが得意って素敵ですね!他に得意なことはありますか?

ゆいさん
「よく言われるのが、長時間のロケでも一日崩れないということですね。
朝ヘアメイクをしたら出させてもらって次の現場に行くこともあるんですけど、そういう場合でも「メイク直しをしなくても最後まできれいな状態を保てました」って言ってもらえることが多くて。
ヘアメイクのスピードが早いっていうのも得意分野の1つかも。
この手の早さは、スケジュールが詰まっている売れっ子タレントさんに重宝されています」

アシスタント時代の経験が大きな糧に

1日20人!キャバ嬢ヘアセット時代

Q.スピードを買われて指名されるっておもしろいですね!そのスピードはどうやって身につけたんですか?

ゆいさん
「これはアシスタント時代にしていたバイトの賜物ですね。昔、空いた時間にキャバ嬢のヘアセットやっていたんですよ。
まずは髪に慣れるようと思って始めたヘアセットのバイトだったんですけど、これが思いのほか楽しくて。気づいたら何年もそのバイトを続けていたんです。
そこで身につけた “手の早さ”が今の仕事に生きているんだと思いますね。
やっぱりキャバ嬢のヘアセットやっていると手が早くなるんですよ。1日に20人くらい担当していた時期は、15分で髪型作っていました」

Q.15分ですか!?私なら1時間はかかりそうです。

ゆいさん
「本当大変でした(笑)でもその経験が今に生きています。

忙しいタレントさんの事務所の方に、「ゆいさんなら45分でいけますよね?」とか言われて、移動中のタクシーの中でヘアメイク直すこともあるんですよ」

Q.なるほど、キャバ嬢のヘアセット経験が早さの鍵なんですね!ヘアメイクさんの修行の場としてはメジャーなんでしょうか?

ゆいさん
「いえ、キャバ嬢のヘアセット経験って、芸能界のメイクアップアーティストの中では珍しいですよ(笑)当時は高さを競うような盛り髪が流行っていたので、派手だけど崩れない盛り髪をつくる技術を身につけました。

そういうキャバ嬢の盛り髪の時代を過ごしたヘアメイクさんってあんまりいないから、ああいうヘアセットはできない人が多いんです。
だから『おネエ★MANS』が流行った時に、テレビ局から盛り髪注文されても対応できるヘアメイクさんがいなくて。そんな時に「ゆいちゃんできる?」って感じで頼まれたりして「なんだ盛り髪需要あるじゃん!」って思ったこともありました。
今はそんなに盛り髪に需要はないですけど、こうやって頼ってもらえるのはキャバ嬢のヘアセット時代があったからこそなので、経験して良かったって思います」

アシスタントとしての自分を認めて、道が拓けた

Q. アシスタント時代の経験が今に生きているんですね。アシ時代から積極的に活躍していたんでしょうか?

ゆいさん
「全然そんなことなかったですよ。24歳の頃にRyuRyuという通販カタログ雑誌の現場にアシスタントとして入ったんですけど、そこで大きく考え方を変えてもらいました。そのカタログは半年に1回くらい、1週間毎日撮影が続くような現場だったんですけど、本当に大変でした。でもすごく楽しくて思い出に残っています。

当時の私は結構ギャルだったので、他の現場では周りのスタッフに敬遠されることもあったんですけど、RyuRyuの現場ではモデルさんとすごく仲良くなれたんですよね。
当時のモデルさんは、ローラさんとかトリンドル玲奈さんとか、今思うと豪華なメンバーばかりでした。そのモデルさんたちが仲良くしてくれたおかげで、”アシスタントでも影を消さなくていいんだ”と思えるようになったんです。

実はそれまでは『アシスタントに触られるのは嫌かな?』って思って、遠慮しちゃっていたんですよね。でも“自分を受け入れてもらえた!”って実感してから、『もっと自分を出してもいいんだ』って思えるようになったんです」

Q.それから変化はありましたか?
ゆいさん
「そうですね。営業活動をするようになりました。アシスタント時代は、みんな自分がやったヘアメイクの写真を撮って、ファイリングして自分を売り込むんですけど、私はしてなかったんです。自分の仕事に自信が持てなかったのかな。

でも、『モデルさんから認めてもらえた!』って思えた頃から、ちゃんと作品撮りをして営業をするようになったんです。だいぶみんなよりスタートが遅れちゃいましたけど、ローラちゃんが入っている作品を持っていったら雑誌でもウケが良くて、ティーン雑誌の仕事が始まりました。

ティーン雑誌では、一日にモデルさん8人を相手に、外ロケのあとスタジオ入って・・・って仕事内容は大変でした。それでも、誌面で自分の仕事が作品として残るのがすごく楽しかったのを覚えています」

すべては“自分次第”で次に繋がっていく

タレントリストから学んだ新たな仕事のつなげ方

Q.RyuRyuの現場が大きな転機になったんですね。他にも何か自分を変えた現場や出会いってありますか?

ゆいさん
「1つはタレントリストですね。タレントリストには、32歳の時に出会ったのですが、そこで仕事への考え方が変わりました。

というのも、タレントリストで働いていた友人のピンチヒッターとして、タレントリストの仕事を受けたんです。だから、私の中では、“単発の仕事”だと思っていたし、2回目はないだろうと思っていました。
でも、その日に担当したアイドルの子と意気投合して、その子から次の仕事を頂いたんですね。今でも仲良くさせてもらっているんですけど、この出来事は私の中で結構衝撃でした。
『単発の仕事でも、自分次第で次に繋がるんだ!』って。

タレントリストからも、継続してお仕事頂いていますし、『単発の仕事だから、それで終わり』じゃないんだなって学びましたね。今までは専属の仕事が多かったから、働くスタッフも顔なじみばかりで。そういう人たちとは仲良くしていましたけど、単発の仕事では、マネージャーとは仲良くするけど、雑誌や制作会社と仲良くしてこなかったんですよね。
でも、自分次第で次の仕事に繋がるんだなと実感したことで、どの現場のスタッフさんやタレントさんと仲良くなることの重要さに気づきました」

新しいチャンスも自分で作り出す

Q.ゆいさんの明るい人柄を生かせば、どんどん仕事は舞い込んできそうですね。

ゆいさん
「そうですかね(笑)でも自分次第でチャンスは舞い込んでくるんだなと思います。
実は、収入の半分を占めていた専属のタレントが芸能界引退したり、コロナ禍でイベントとかの中止が相次いで、一時収入が激減したんです。
それで今後のことを考えて、眉毛のデザインを学び始めました。これなら外に出なくても自宅でできるから、時代に合っているかなと思って。
そしたらこれが大当たりで、すごいバズったんです。本当に身近な知り合いから始めたんですけど、評判が口コミで広がって、男性客なども来るようになりました。特に宣伝はしていないのに、これまでに500人くらい施術したんです。
自分が成長すれば、どんな苦境に立たされてもチャンスは作れるのかなって思いましたね」

これからも自信を持って続けられるように

親友のような母と“白竜”である父

Q.専属タレントの引退やコロナ禍での仕事激減・・・大変だったと思いますが、将来の不安などはありましたか?

ゆいさん
「将来の不安とか心配ってないんですよね。両親からは「自由に生きなさい」と言われて育ったので、今までもこれからも自由に楽しく生きたいなと思います!私の父は、俳優の白竜なのですが、私と父は、幼少期から高校くらいまで離れて暮らしていたんです。父は俳優としての仕事があるので東京に、私たちは茨城に住んでいて、週1で父が茨城の家に帰ってくる生活でした」

Q.白竜さんがお父様なんですか!それはびっくりです。
ゆいさん
「実はそうなんです(笑)父とはそんな生活をしていたので、父からはいつも「俺も自由に生きているから、お前も自分がしたいことをしろ」と言われていました。母も美容学校に進学する時に「“もしこれが仕事にならなくても、メイクの勉強ができるならいいじゃない。役に立つ知識なんだから”と、私の背中を押してくれていて。
地元でも有名な進学校に通っていたので、周りは大学進学が当たり前。
先生からも大学を薦められていましたが、両親は専門学校に進むことを応援してくれたんです。
両親が私のやることをいつでも肯定して、応援しくれたから、自分のやりたいことをのびのびと自由に楽しめたと思うんですよね。
自分が選んできた道が、大変な時期も含めて楽しかったと思えるので、今後の進路にも不安はないんです。“どの選択をしてもなんとかなる!”って思っています」

Q.味方でいてくれるご両親がいると心強いですね。ちなみに白竜さんと仕事の現場が一緒になったことは?
ゆいさん
「ありますよ!父がバラエティ番組に出ると聞いたので、「私をヘアメイクにつけてよ」とお願いして、何度も一緒に現場に行きました。そのときは、自宅から一緒の車に乗って現場に入るんですけど、私と父が親子だって知らないスタッフさんやタレントさんも結構いるので、私が「ここ座って」とか「もっと右向いて」って、父にため口で指示している様子を見て『あのヘアメイク大丈夫か!?』ってヒヤヒヤしていたようです(笑)
小沢仁志さんからも「白竜さん、新しい彼女連れてきたの?」なんて言われたりして(笑)」

Q.白竜さんにため口で指示する若いヘアメイクさん・・・焦っている現場が目に浮かびます(笑)お父様をヘアメイクするのってどんな感覚なんですか?

ゆいさん
「いつもと変わらないですよ!やることは同じので。でも他のタレントさんより気は楽かな。ちなみに父の髪型は本人が作っています。あれは長年セットしている人の方が上手くいくんですよ。というか、あの髪型のニュアンスって分からなくないですか?(笑)
本人も丸みとか、いろいろこだわりがあるようなので任せています。でも眉毛は私の方が描くのが得意ですよ!父は眉毛描くの下手くそなので(笑)」

ずっとこの仕事を続けられるように

Q.裏話が聞けて得した気分です!(笑)最後にゆいさんの将来の夢を教えてください。

ゆいさん
「夢かぁ・・・はっきりとした夢や目標ってなんですよね。でも、小さい仕事の目標ならあります。『雑にならないように一個一個の現場をちゃんとやる』ってことですね。
今まで、仕事自体に手を抜いたことはないけど、すっぴんで現場に行っていた時期もあって。
忙しいのが楽しくて、4本とか仕事が入っていると「頑張ろう!」って気合いが入るタイプなのですけど、やっぱり忙しいと自分自身に時間をかけられなくなるじゃないですか。でも、私がボロボロな状態で現場に入って、相手に雑な仕事をしているって思われるのは残念だし、不安な思いをさせたくないなって思って、今は自分自身も整えてから現場へ向かっています。いくら忙しくても、あとで後悔したくないですから。

私は、この仕事を始めてから毎日本当に楽しいんです。
人と話すのも好きだし、ヘアメイクも好きだし、そういう“好き”が高じてここまで来ました。
テレビや雑誌の仕事ではなくても、ヘアメイクの仕事はずっとしていきたいなって思いますよ。それこそ今やっている眉毛のデザインも含め、結婚式にいく人のヘアセットとか、おばあさんになってもこの仕事を続けられるように、自宅での仕事も増やしていきたいなと思っています!」

編集後記

ゆいさんに会った時の第一印象は、とても明るく天真爛漫な人。
終始ニコニコと笑う姿はとても印象的でした。
そんなゆいさんがインタビュー内でよく口にしていたのが『縁』というワード。出会った人たちに仕事や人を紹介してもらい、どんどん自分の世界が広がっていったそうです。「私はすごくないけど、周りに恵まれたんですよ」と言っていましたが、人を惹きつけ、仕事にも繋げていくゆいさんは十分すごく、魅力的だと思いました。
周りをハッピーにしてしまうゆいさん自身とゆいさんのメイク。ますます目が離せません!



書いた人

阿部未和
『求人広告の制作経験を経て、
現在は地元テレビ局のフリーランス記者として活動中。影で活躍する人を発掘・取材することに喜びを感じる。

タレントリストでは、声優インタビューやライティングなどを担当。

エンタメ好きで、これまでテレビで取り上げた人物は、有名マンガ家や音楽アーティスト、五輪選手など多岐に及ぶ。』